現在日本では、宮内庁御用達という言葉はさまざまな意味で使われています。
英国王室には現在でも王室御用達(ロイヤルワラント)の制度があり、製品に王室の紋章を付けることが公式に認められています。御用達の指定は、女王、エディンバラ公、皇太后、皇太子の4人に限られているとのことです。
わが国では古美術商の山中商会がこのロイヤルワラントをもらっていました。
それに似た制度は日本でも以前存在していて、明治24年(1891年)に宮内省用達称標出願人取扱順序が制定され、認定を受けた業者には「宮内省御用達」と名乗ることが許されていました。(戦後「宮内庁御用達」へ)
制度の趣旨としては、これまでの伝統技術を保護する一方で、欧米から新たに渡来した種類の品物においても、国産品の水準を向上させることが掲げられていたそうです。
また、それ以前から御用達の宣伝や乱用が頻発したため、称標の使用を宮内庁側で管理する意図もありました。
選考の前提としては、内外の博覧会等での入賞、宮内省への1年以上の納入実績などが必要とされ、資本力も審査対象になったとのこと。
やはり御用達の詐称が当初みられたことで、1935年、必要とされる納入実績が五年以上に改正され、しかも五年後ごとに更新するかたちになりました。
1891年の第一号の認定ですが、手持ちの資料に異同があり、西陣織の川島甚兵衛(現川島織物)としているものと「日本橋の魚屋」となっているものがあって、はっきりしません。
廃止されるピーク時には80程度の御用達が存在していたようですが、64年間の総認定数は110を越える程度とのことです。
その中には18の外国の業者も含まれています。(英12社 仏3社 独2社 伊1社)
(まぎらわしいのですが、この他に「帝室御用」というものもあり、こちらは海外の物産を購入するため外国の商社を認定していました。管轄は宮内庁ではなく外務省)
戦後この制度は諸般の事情により廃止されることになります。
つまり昭和29年(1954年)の制度廃止以降は、宮内庁が公式に認める「宮内庁御用達」の表記は存在しないわけです。
とはいうものの、オフィシャルな制度の廃止以降にも当然皇室の方々の御用を承る民間業者は存在し続けるわけで、およそ240の「御用達」が今なお存在しているとのことです。
このページで取り上げた「御用達」の業者さんを区分けしてみると、以下の様になりそうです。
1 宮内庁に昔、「宮内庁御用達」をもらっていて、今も納めている業者。
2 宮内庁に昔、「宮内庁御用達」をもらっていたが、今は納めていない業者。
3 昔品物は納めていたけれども、「宮内省御用達」をもらえていなかった業者
4 宮内庁御用達の制度がなくなった以降に品物を納めている業者。
5 継続的に品物を納めているというより、その商品が一度か二度購入された業者。
こうしてみると「御用達」の制度がなくなったことで、逆に様々な業者が名乗りやすくなった印象がぬぐえません。
1954年以前の「御用達」のお墨付きにしても、全ての納入業者がもらえたわけではなく、相当厳正な審査がなされてのことですから。
全く関係のない業者が名乗ってる場合は論外ですが、「宮内庁御用達」という言葉を固有名詞ではなく一般名詞に解した場合、わずかでも納入実績があれば特に偽証にもなりません。罰則がないために宮内庁側としては取り締まる事は出来ないけれども、悪質な場合には注意する事もあるそうです。
もっとも「愛子様の絵本」のような場合は「宮内庁御用達」というより「皇室御用達製品」のほうが正確なようにも思いますね。(このように皇室の方自ら品物をお選びになられる場合は、御用達ではなく御愛用という呼び方がされるとのこと)
現在、宮内庁に納められる品物には納入と献上の二種類あります。
「納入」というのは、宮内庁が代金を支払って購入するものを指します。
通常の御用達の理解はこちらでしょう。
一方「献上」というのは、業者や自治体などから差し上げるもののことです。
「納入」はもちろんの事、「献上」も審査が厳格に行われ、どんな業者でも自由に献上できるというわけにはいかないようです。戦前の様に2代3代遡って思想や病歴まで調査されることはないかもしれませんが、それでも相当厳選された業者に限られていて、強いてここで例は挙げませんが著名なメーカーが品物を返されたという話はよく聞きます。
宮内庁は現在は納入業者を原則的に公開していません。そのため「納入」「献上」の双方共に、世間にははっきりと知れわたることはありません。今回のような結婚式や儀式の際に、報道各社への非公式のリークを通じて部分的に情報が出てくる程度です。
また裏話として、ある「宮内庁御用達の納豆」を調べてみると、実は宮内庁の職員食堂で使用されていたなどという話もあったようです。
宮内庁は、制度廃止後も従来からの判断基準に基づき商品の選択をしているように思います。
事実、現在の御用達を一つ一つ確かめていくと、戦前から取引のある業者さんが多く、当然のことながら品質面でも日本における最高水準と目されているところがほとんどです。
とくに食器やインテリアでは、迎賓館や在外公館でも使用されているメーカーと重なる事が多々あるようです。(例えば、大倉陶園・カガミクリスタル・山田平安堂・日本ベッド・オリエンタルカーペットなど)
去年、このサイトをつくった当初は予備知識と検索のみの知識で始めたのですが、最近になって、宮内庁御用達に関する本を5,6冊参照してみました。
かなり昔に出たものまで目を通してみたのですが、気がついたのは、同じきまった何十かのお店がどの本でも大半を占めている事と、この種の本が同時期にはあまり多く出版されずに、何年か間隔をあけて出ている事です。
これは、御用達本で常連のお店が宮内庁側からの推薦による事のみならず、本自体にもかなり積極的に関与されてるような印象を持ちます(企画とまで言ってよいのかわかりませんが)。事実、二十年以上前に出版されたある本の場合、複数の宮内庁関係者が文章を寄せ、末尾には入江侍従長以下四名の座談会まで収録されています。
そう考えると、御用達本やメディアに流すこの種の情報は、オフィシャルな認定制度が消えた後の、宮内庁側の半認定のような意味合いを持っているのではないでしょうか・・・
さて、天皇陛下の普段のお食事は「宮内庁管理部大膳課厨房係」の所掌です。
大膳課の編成は以下のようになっています。
厨房第一係(和食担当)
厨房第二係(洋食担当)
厨房第三係(和菓子担当)
厨房第四係(パン担当)
厨房第五係(東宮御所担当)
天皇家が日常の生活の中で召し上がる肉類、野菜類等は、すべて栃木県にある専用の「高根沢御料牧場」で出来たものだそうですから、このサイトで挙げた食品関係の商品は、常日頃食されているというより何かの折に召し上がったものが多いとみていいかもしれません。
ただ、米や魚のように用意できない食材は大膳課が業者に手配するそうです。(前者の場合ですと「小黒米店」、後者なら「共同水産」)
歴代の主厨長のなかでは「天皇の料理番」と言われたフランス料理の秋山徳蔵氏は有名ですね。
秋山徳蔵氏による「宮内庁風のハヤシライス」はこのサイトでも紹介した「上野精養軒」に、さらに神田の「松栄亭」に受け継がれているそうです。
この上野精養軒という洋食屋は、なんでも明治初期、日本の社会に肉食を広めるプロパガンダ的な意図をもって岩倉具視の命によって作られたお店だともいわれています。
そう考えると宮内庁御用達というのは、たんに雲の上の世界のものではなく、庶民の消費生活や文化に影響を与えた部分も少なくありません。
よく引用される例として、日本で初めてアンパンを作った「木村屋」のアンパンを昭和天皇が大変気に入られて、木村屋が御用達になった話があります。
その報道をきっかけに、日本にアンパンというものが広まったエピソードはいまや懐かしき昭和の御伽噺の部類に入るようですね。
ほかにも、大正天皇の学習院入学の折に伊藤博文がランドセルをお贈りしたニュースをきっかけに、それ以後日本の親たちが子供にランドセルを背負わせるようになったという経緯はかなり知られているようです。
こうした例などは「宮内庁御用達」が大衆の消費生活をリードしてきた典型的なケースといえますが、現在でも贈答品などで「虎屋の羊羹」がいまだに根強い人気を保っているのも、「御用達」イメージは強く影響してるように感じます。
「いい物を長く大切に使う」というのが、どうやら近年の皇室のキャッチフレーズのようです。
一例を挙げると、公用車のニッサンプリンスロイヤルは1967年から今年2006年に至るまで四十年近く御使用になりました(紀宮様を皇居から帝国ホテルまで運んだのが最後のご奉公だそうです)。
一台の車をそれだけ長く使用されたことは、その車がまず市販のものをはるかに超える品質を持っており(非売品)、かつ肌理の細かいメンテナンスを営々と続けてきた証とみていいしょう。
このことは他の品物の場合でも、多かれ少なかれ共通しているのだろうと思います。
このページでは、1954年以前の正式な御用達にこだわらず、明治以前の「禁裏御用達」から、「宮内省御用達」「宮内庁御用達」「皇室御用達」「天皇家御用達」等を含め、皇室の方々がご使用になった業者やその製品をかなりアバウトに紹介しています。
またandには、皇室の方々の医療、教育などの面での「御用達」にも触れています。
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