Servant & Friend 【使用人・話し相手】



 御用達という言葉にはなじまないものの、我々と同様に皇室の方々も使用するサービスに関して少しページを割いておきます。

 ここでは使用人というか、身近におつかえする侍従の方についてです。
 侍従を全部あげるわけにはいかないので、そのトップである侍従長をまず下に。

1 徳大寺実則 (公家)
2 河瀬真孝 (公家)
3 徳大寺実則
4 東久世通禮 (公家)
5 山口正定 (藩閥)
6 米田虎雄 (藩閥)
7 徳大寺実則
8 波多野敬直 (司法省事務次官)
9 桂太郎 (藩閥・のち首相)
10 鷹司煕通 (公家)
11 正親町実正 (公家)
12 徳川達孝 (旧徳川家)
13 珍田捨巳 (外交官 外務省事務次官・駐米大使)
14 鈴木貫太郎 (海軍大将 海軍軍令部長・のち首相)
15 百武一郎 (海軍大将)
16 藤田尚徳 (海軍大将 海軍省事務次官)
17 大金益次郎 (宮内省事務次官)
18 三谷隆信 (外交官 フランス大使)
19 稲田周一 
20 入江相政 
21 徳川義寛 
22 山本悟 
23 渡邊允 

 初期には公家や藩閥出身者が多いようですが、次第に外交官・軍人といった官僚系が多くなります。
 戦後の宮内庁時代になってからは、戦前までいた内大臣という宮中の最高責任者がいなくなって、侍従長職は宮中全般をとりきるようになりました。そのせいか宮内庁ないし華族系中心になったようです。
 歴代の顔ぶれの中には、桂太郎・鈴木貫太郎と二人の首相もいます。
 初代の徳大寺実則という人は、三度にわたって侍従長を務めていますが、この人は西園寺公望首相の兄に当たります。
 それでいちばん末の弟が住友友純。この人は住友財閥の当主にあたるひとです。
 これは最近知ったのですが、住友家の血筋が絶えたとき、大番頭の伊庭貞剛の必死の工作によって大貴族から町人の家へ養子に向かえることに成功したそうです。
 歴代の中で一番マスコミによく出たのは、20代目の入江侍従長ですがこの人は著書も多かったですね。



 さて、戦前にはお側で陛下の身を守る侍従武官というのもいました。
 そのトップである侍従武官長も下にあげておきましたが、陸軍出身者がほとんどです。

1 岡沢精
2 中村覚
3 内山小次郎
4 奈良武次
5 本庄繁 陸軍大将
6 宇佐美興屋
7 畑俊六 陸軍元帥
8 蓮沼蕃



 次に陛下のお話し相手ですが、宮内庁参与として

吉田茂(元首相)
小泉信三(慶応大学塾長)
石坂泰三(経団連会長)
田島道治(宮内庁長官)

 の四氏が戦後選任されました。
 どうやらこれが公式のお話し相手のようです。

 この宮内庁参与にはその後、
森永貞一郎(大蔵次官・日銀総裁)、
宇佐美毅(宮内庁長官)、
富田朝彦(宮内庁長官)、
須野部量三(外務次官)、
団藤重光(東大教授・最高裁判事)の各氏が就任しています。

 近年では藤森昭一(宮内庁長官)、中島敏次郎(外交官・最高裁判事)大西勝也(東京高裁長官)平岩外四(経団連会長)の各氏。

今年になって、大正デモクラシーの研究で知られる三谷太一郎氏と栗山尚一氏(外務次官・駐米大使)が選任されています。

 あと非公式ですが、終戦後に安倍能成のもとに陛下を囲む会のようなものがあったらしいですね。
 志賀直哉(作家)、和辻哲郎(哲学者)、田中耕太郎(法学者・最高裁長官)、谷川徹三(哲学者)と戦前のオールドリベラルの香りのする面々がそろっています。




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