「禁裏御用達」だった時代からの納入業者には、わが国文化を語る上で欠かすことの出来ない歴史的な名店が数多くあるので補遺を設けてみました。


 英国の王室御用達では、イード&レイヴェンスクロフトやファーミン&サンズの様に現在のハノーヴァー=ウィンザー王朝よりもさらに歴史の古いお店がいくつか存在しますが、日本の場合さすがにそれはありません。
 それでも、御所時代からの「御用達」は日本でも屈指の伝統を誇る老舗ぞろいで、明治維新で皇室が東京に移った際には、こうしたところは将来を決める厳しい選択を迫られたそうです。

 和菓子に例を取りますと、二口屋(饅頭)のように消滅するお店が出るなか、虎屋や塩瀬総本家が皇室を追って本拠を東京に移す一方で、それに対して川端道喜や松屋常盤は京都に留まりました。
 東京の虎屋と、京都の川端道喜や松屋常盤のその後の道のりを比べてみると、ある意味で対照的にも見えてきます。
 虎屋さんの羊羹は決してお安いものではありませんが、その味に触れたことのある方はかなり多いはずで、今では楽天からオンラインで購入することもお出来になります。
 それに対して上記の二店の場合、虎屋同様にその世界では特別な存在として畏敬を持って語られる機会は多いのですが、必ずしも全国の方になじみがあるとは言えないのではないでしょうか。
 川端道喜に伝わる起請文には「乱造しないこと」「宣伝しないこと」の戒めがあります。三百五十年間毎朝欠かさず餅を献上し続けたこのお店に、明治天皇が遷都の際「また帰ってくるからね」とおっしゃったエピソードは知られていますね。

 京の地で新しく街商いを始められた昆布の松前屋さんの場合にも、これと同様のことが言えそうです。
 松前屋は今でこそ昆布の名店として有名ですが、御所時代には昆布だけでなく「諸品御用」といってあらゆる商品を扱い、御用商人を取り仕切る商社のような役割を果たしていました。東京遷都の折には引越しまで請け負い御用商人の心意気を見せたとのこと。
 かなり以前にお聞きしたので今はどうかわかりませんが、松前屋の昆布は本店と京都高島屋でしかお求めになれなかったのではないかと思います。

 松前屋・川端道喜・松屋常盤は京にあっても、その後も折に触れ御用を司っています。
 これらのお店はホームページも作っておられません。

 お店のポリシーというのは様々なようで、虎屋には、奈良の平城京から平安京へ遷都した時にも、朝廷を追って移ってきたという伝説があります。
 皇室が財政的に困難だった幕末に注文が途切れたときなどには、お菓子が召し上がれないのではないかと思い、塀越しに椿餅(型崩れしないので)を放り込んでいたという話も残っているそうです。

 鳩居堂のように、販売部門が京都鳩居堂と東京鳩居堂に分かれて、製造部門が京都に本拠を置いているところもあり、このあたりは千差万別ですね。


 こうしたお店の例は、日本の伝統や文化が次代に継承されるときに、皇室がある意味で核のような働きをしていることを強く感じさせます。


 いっぽう東京では、それまで江戸時代を通して将軍家の御用達であった漆器の黒江屋などが、新しく皇室の御用達に加わってきています。
 昭和天皇の有名な眼鏡を製作したことで知られる村田眼鏡本舗も、もとは幕府の御用鏡師なのですが、こちらは江戸時代以前には皇室の鏡師だったそうで、将軍家の御用を果たすため江戸へ移って行ったそうです。それがまた再び眼鏡屋として皇室の御用を司る次第になったとか。
 こちらの眼鏡は皇室のみならず伊藤博文から吉田茂にいたる歴代首相、夏目漱石や島崎藤村などの文豪も愛用しており、昔の肖像写真などで一度は目にされた事がおありだと思います。天皇陛下だけでなく紀宮様の眼鏡もこちらだったとのこと。









 では、新たに御用達に選ばれる場合には、どのような経緯を経るものなのでしょうか・・・

 大塚靴店の例では、ある日一人の紳士が店を訪れて靴の修理を依頼したそうです。靴の出来栄えに大変満足したその紳士が実は「のちの宮内省調度頭の長崎省吾氏」で、それが御用達になるきっかけであったとされています。
 現在でも調度頭に該当する役職はある筈で、常に品質の高い品を探しておられるのかもしれませんね。


 一方婦人靴のヨシノヤは、御用達であった高田茂装束店の目にとまり、最初は高田装束店を通して品物を納めていたそうです。それが後に直接の御用達になります。

 鰻の伊豆栄は、ここがもともと入江侍従長の贔屓にしていたお店で、それがきっかけになりました。

 箸勝本店の場合は、秋山徳蔵主厨長の口添えによるものだったと言われています。

 加古ワイシャツ店もお客さんに宮内庁関係の方がいたそうで、その方から「作ってみては」と勧められた事が始まりでした。

 洋菓子のコロンバンや大阪寿司の大〆の様に、大膳課で奉職した方が創業したお店というケースも多いようです。



   ただ大塚靴店にしても、その後百年以上に渡って御用達を賜ってきたのは、常に最高の品質を保ち続けてきたことが結局は唯一の理由といえるのではないでしょうか。





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